【Ex-Amazon・不動産スタートアップ】新たなスタートアップへの道:グローバル人材との対話
本記事では、アマゾンからシリアルアントレプレナーシップへとダイナミックにシフトした森永貴博のキャリアを紐解き、特に不動産テックとクロスボーダー市場において、グローバルなスタートアップ・ベンチャーを追求する彼の道のり、挑戦、戦略的ピボットについて詳述する。
注目すべき内容:
キャリアの変遷と軌跡: アマゾン時代での会社員としてのキャリアから連続起業家としてのキャリアへの変遷を、動機、課題、日米両国でスタートアップを追求する上での重要な決断を含めて紹介する。
スタートアップの経験と学び: スタートアップのアイデアの発端、会社設立のプロセス(分有オーナーシップに特化した不動産テック・スタートアップなど)、事業の構築と転換に関わる反復学習プロセスなど、森永さんのスタートアップ経験に関する洞察。
グローバルな視点と国境を越えた挑戦: グローバルな視点での事業立ち上げの複雑さ、国境を越えた挑戦、文化の違い、日米の市場力学、国際展開の戦略についての議論。
個人の成長と意思決定: 起業家としての森永さんの個人的な成長について、過去のベンチャー企業から撤退する際の意思決定プロセス、失敗と成功についての考察、起業家としての道のりを形成する上でメンターシップとサポートネットワークが果たした役割について。
— RiSiNポッドキャストへようこそ。RiSiNポッドキャストに出演頂き、誠にありがとうございます。改めてこのポッドキャストを紹介しますと、RiSiNは海外で活躍してる起業家、ビジネスパーソン、投資家などを招いて、ゲストの方々に対談形式で発信するポッドキャストになっています。このポッドキャストを立ち上げたきっかけは、海外にチャレンジするスタートアップやビジネスパーソンを増やしたいなという思いがあって。それと同時に、海外で活躍されている日本人にフォーカスしてインタビューすることによって、これから海外で何かチャレンジしたい方々向けに役立つメディアにできればなと思って立ち上げました。
森永さん、本日はよろしくお願いします。
森永さん「よろしくお願いします。」
—早速なんですけど、簡単な自己紹介をお願いできればと思います。
森永さん「分かりました、改めまして皆様、はじめまして森永隆弘と申します。よろしくお願いします。私自身は大学卒業した後に、新卒でアマゾンジャパンに入社しまして、そこから3,4間アマゾンに勤めていたのですけれでも学生時代からアメリカでチャレンジしたい、特に自分でスタートアップしたいという思いがあって2022年5月にサンフランシスコに初めて渡米をしました。今も日本とアメリカを行き来しながら、アメリカベースでスタートアップをやっているという状況になります。」
—ありがとうございます。アマゾンで4年務めた後に渡米したんですよね?
森永さん「実はアマゾンをやめて、すぐ渡米したわけではなくて、」
—そうなんですね
森永さん「そうなんですよ、実は1年間くらい、実は大阪で日本で最初、登記して事業をやっていたんですよね。」
—なるほど。それはちょっと初耳ですね。
森永さん「そうですよね、言ってなかったんで本当に。」
—その時は何をやられてたんですか?
森永さん「その時は僕と共同創業者がそれぞれ留学経験が学生時代合って、やはり留学生って海外も心細いよねっていうところから、それを解決する事業を一緒にやろうってことで、国外移住者(Expats)であったり、留学生向けの交流アプリを最初は大阪で作ってました。」
—それは初耳すぎる。知らなかった。なるほど。では、それを1年間チャレンジして、やめちゃった感じなんですか?
森永さん「実は事業自体はやめていなくて、その事業を海外でもやりたいよねって話をしてたんです。グローバルで使われるビジネス、事業、プロダクトを作りたいという想いがあったのそういう想いを持ちながら大阪から始めたんですけれど、とあるきっかけで、サンフランシスコで起業されている方とお話しする機会があって、グローバルでいつかやりたいんですよねって話をしたら、今すぐ来た方がいいって言われて」
—焚きつけられたんですね、その時
森永さん「そうです、そうです!その手があったかと僕も思って、もう行っちゃった方がいいな、いずれグローバルでやりたいし、その方と話して、翌月にはビザの準備を、向こうで渡米する準備をして、共同創業者(Co-Founder)と一緒にアメリカに行ったという状況ですね。」
—ちなみにアマゾンではどういう業務内容といいますか、どういう仕事をやられていたんですか?
森永さん「私、部署移動を一回しているんですけれでも、一回目がアマゾンのマーケットプレイスのチームで、競合で言うと楽天とかになるんですけど、そこで販売者様の売り上げサポートであったり、どうアマゾンで売り上げを伸ばしていくかという、ECコンサルティングみたいなものをしていて、2年目に部署移動をして、そこでアマゾンのリテール事業部(小売り事業部)の方で、主に玩具業界を担当していました。」
—あまりアマゾン時代の話を聞いたことがなかったと思って、そういうことをやられてたんですね。その時とかって、日本のアマゾンとかってどういう会社の雰囲気といいますか、カルチャーとしては割と英語を使う環境だったりするんですか?
森永さん「そうですね、部署によっても違うんですけれど、僕は8割がた日本語、で一部はカナダとかアメリカのクライアントを持っていたので、場合によってはメールで英語のやりとりであったり、英語での商談であったりとか、そういうのがありましたけど。僕の場合は大方、日本語でしたね。」
—じゃぁ、結構ドメスティック(国内的)な感じなんですね。もう本当にそのデパートメントというか部署によっては英語を使ったり使わなかったりっていう感じなんですね。
森永さん「そうですね。」
—ちなみにその、学んだら・・アマゾンに入ってから、海外でチャレンジしたいっていう想いって、いつからあったんですか?
森永さん「海外っていうとあれですけれど、そもそもやっぱ小さい頃からアメリカに憧れはあったんですよね。」
—そうだったんですか、なるほど。何故なんですかそれは?
森永さん「小さい頃、5歳とかで初めて親に海外旅行でアメリカに連れて行ってもらったこともあったりして英語を話せるようになりたいなとか、アメリカかっこいいなとか、世界の中心は経済も含めてアメリカだなとか、僕の中で小さい頃から思っていて、そういうのずっと思って育ってきたので、いずれ仕事に関しても世界というか、アメリカでやりたいなという想いは、昔からあった気がします。」
—小さい頃からの体験がきっかけで、海外とか、アメリカを意識するようになったって感じなんですね。
森永さん「そうですね、いつかはアメリカで仕事したいなみたいな感じで思ってたんです。」
—それぐらいインパクトがあったってことですね。私のイメージだと、その5,6歳とかって結構まだあんまり覚えていないことがあると、割と大きくなったら忘れてるものだと思っていたんですよ。でもそれぐらい結構インパクトがあったってことですよね、小さいなりにもですが
森永さん「そうだと思います。やっぱり英語かっこいいなとか、海外っていいなとか、知らないところ行ってもいいなとか、小さいながらに思っていたとは思いますね。」
—今はとりあえず、日本とアメリカを行ったり来たりして、スタートアップの立ち上げをやってるって言ってたと思うんですけども、これって何回目のスタートアップになったりするんですか?
森永さん「先ほどお話ししたように、一回Amazonやめてから大阪で会社を作って、それをアメリカに行くタイミングで閉じてから2022年にアメリカに渡って、2023年にアメリカで会社を作って、アメリカ法人で作って、今そこのスタートアップも抜けることになったので、今準備してるので、スタートアップとしては3社目になると思います。」
—なるほど、割と色々、本当に思いっきりチャレンジしてる感じですね
森永さん「そうですね、もう次3社目になるのかと思うと自分でもびっくりしますね。」
—ちなみに森永さんっておいくつなんですか?
森永さん「今29歳です。20代最後です。」
—なるほど、29歳でもう3社チャレンジしてるって・・素晴らしいですね、本当に。
森永さん「そうですね、まだまだこう・・・チャレンジしたいなと思えているので、今は。」
—まだ20代なんで、全然チャレンジしてもいいと思いますし、まだまだね、多分体力もあると思うので。やっぱり、こう・・なんだろう。年齢重ねれば重ねるほど、保守的になるって言いますか、(保守的に)なるので、20代後半、もしくは30代前半・・もちろん、年齢は関係ないとは私自身は思っているんですけど、何歳でもチャレンジできると思っていて、じゃぁその2社目のスタートアップはどういうスタートアップだったんですか?
森永さん「そうですね、2社目はカテゴリで言うと、不動産テックの領域でスタートアップをやっていまして、簡単に言うと、海外の方、メインはアメリカのお客様が日本の別荘を共同購入できるような、そう言うプラットフォームを2社目では作っていました。」
—なるほど、要はあれですよね。フラクショナルオーナーシップっていう・・・
森永さん「あぁ!そうです」
—っていうコンセプトで、日本でいうところのNot a Hotelが、上手くやってる、なんていうんですかね・・自分ではうまくやっているスキームっていう感じではありますね。ただ、Not a Hotelはまぁ全部理解してる分けじゃないんですけど。Web 3.0の要素を手に入れて、NFT所有者の、会員、会員なのか何なのかわからないですけど、それと持ってると安くNot a Hotelが展開しているホテルに、泊まれるというコンセプトだったような気がしますね。その理解であってますか?
森永さん「そうですね、なのでアメリカでもフラクショナルオーナーシップみたいなのは、すごく人気になってきていて、」
—確かに、確かに
森永さん「国内でもNot a Hotelさんも人気が出てきていて、ただ、こう・・やっぱ海外の方が日本で不動産をフラクショナルで買うっていうのはまだまだ浸透していないというような印象だったんですよね。」
—なるほど、その立ち上げたきっかけというのは・・なんていうんですかね、そのバックグランドとしては、ちなみに共同創業者(Co Founder)とかもいたんですよね?
森永さん「はい、共同創業者(Co Founder)いました。」
—なので、共同創業者(Co Founder)のバックグラウンドってなんかそういう不動産領域だったんですか?
森永さん「特に二人とも不動産領域ど真ん中ってわけではなかったですね。」
—なるほど、そこにチャレンジしようと思ったきっかけは何だったんですか?
森永さん「アメリカに移住してから、どういうふうに事業をやっていくかっていうのを、日々、共同創業者(Co-Founder)と考えていたんですけれども、いくつかアイデアが出たんですが、自分たちが今アメリカにいながら日本人であることを武器にできるものであったり、何かそういう領域ってあるのかなって話をしていて、そういうところから周りのアメリカ人の人達とかが、やっぱり日本好きめっちゃ多いんですよねカルフォルニアとかだと。」
—日本大好きですよね。
森永さん「本当大好きな人が多くて、で、別荘が欲しいけど...別荘というか、家が欲しいけどローン借りれないから一人じゃ全部現金で買えないんだよね、みたいな…日本に行くのって一年でも限られた期間だしみたいな話も聞いていましたし。最初、大阪で立ち上げていた国際交流プラットフォームもアメリカに行ってからちょっとやっていたんですけど、そこで百人の留学生とか国外移住者(Expats)の方に、インタビューしたんですよね。異国で一番何が困るかっていうのを聞いたら、百人中大多数の方が、家問題だったんですよ。もちろん、それは家を借りることもそうですし、もちろん家を購入することもそうなんですけど、やはり国が違えば、家の借り方、買い方も全く違うので・・そういうヒアリングもあって、自分たちのバックグラウンドが活かせるというのもあって、日本の不動産をフラクショナルで販売できるような事業に落ち着いたという感じですね。」
—でも、確かに外国人からすると、日本で家借りる、買うって相当ハードル高いですもんね。そもそも、日本語ができなかったら書類の手続きとか・・そもそも難しいし、エージェントとのコミュニケーションもおそらくスムーズじゃないだろうし、家を借りるにしろ、何か色々とめんどくさいことってあるじゃないですか?たとえば保証人だったりとかもそうですし、海外だと多分、敷金0件みたいな考え方って、敷金はデポジットみたいなものはあるかもしれないですけど、礼金みたいな考え方って、なんていうか・・独特・・?
森永さん「聞いたこと、あんまりないかもしれないですね。」
—あんまりないじゃないですか、私も海外で住んで、というか仕事を通じて、フィリピンとかマレーシアとか自分で物件借りたことあったりしますけど・・やっぱりそういう礼金みたいな考え方って、日本以外にあるのかっていう・・わざわざ、その礼金って大家さんに対して貸してもらったお礼みたいな感じじゃないですか?僕の理解だとそれなのかなって感じなんですけど・・
そういうところとかもちゃんとわかっていないと、なんで払う必要があるんだ?っていうのももちろんあるでしょうし・・
じゃぁそこに、とりあえずアメリカにいる日本好きのアメリカ人に対して、家をフラクショナルオーナーシップっていう形でやってたって感じなんですね。
ちなみに日本の物件ってどうやって開拓して行ったんですか?
森永さん「最初はスキー場とか、日本のスキー場ってかなりこう・・海外の方からパウダースノーで人気だったりするので、最初はスキー場に目をつけた時には、現地の不動産業者と提携を組んで、物件をのさせてくださいと・・そして私たちが海外の方にアプローチして集客してくるんだというふうにしてですね、数多くの不動産業者の方とお話をしましたね。」
—ちょっと勉強不足で申し訳ないですけど、そもそも物件を持っている不動産とかはたとえば持っている物件をすぐにフラクショナルオーナーシップとして提供することもできたるするんですか?
森永さん「不動産業者としては、海外に販売するお手伝いをする、または海外向けにマーケットを変えた告知を出しますよってところに関してはかなり感触は良かったなと思いますね。やっぱり海外のお客様が増えているってことは理解しながらも、そこに対して手が回らない不動産業者さんも多かったので。僕たちが、付加価値をつけることにかなり前向きだったと思います。」
—なるほど、ありがとうございます。じゃぁ本当にそのコンセプト思いついて、MVPとしていろんな不動産の方々に彼らが持っている物件を森永さんのサービスを挟んで、集客するっていうアプローチでやってたって感じですね。
森永さん「そうですね、ただフラクショナルで販売するとなるといろんな法規制であったり、ルール決めも大変だと思うんですよね。たとえば複数人で買った時にどういう風なルールで回していくのかとか・・そこはMVP立ち上げの前に、弁護士も挟んで、これは外国人が買っても大丈夫なのかとか、それはしっかり確認した上で、MVPとして出しましたね。」
—その当時は資金調達する前にやってたんですか?それとも、形にする前に資金調達をしたのか、どっちなんですか?
森永さん「それでいうと、アイデア段階で投資いただきましたね。」
—すごいですねそれは、本当に。
森永さん「資金調達した時とアイデアが少しずつ変わってきたんですけれど、それでも最初のアイデアの時もアイデアフェーズの段階で調達したっていう感じですね。」
—この調達をしたのって何年ですか?
森永さん「2023年ですね。」
—なるほど、デモマーケットとしてもめちゃくちゃ調達しやすいタイミングではなかったですよね、おそらくね。
森永さん「資金調達は日本のベンチャーキャピタルさんと、エンジェル投資家さんからメインで行ったので、アメリカほど市況が悪くなかった日本のマーケットはあったので。あとは円安も相まって、海外からのお客様の引き合いとかも強まっていた時だったので、タイミングとしてはすごく良かったかなと思いますね。」
—よく考えてみると、森永さんとの出会いも資金調達のタイミングでしたしね。
森永さん「そうですね、サンフランシスコですもんね。」
—ありがとうございます。お時間も設けていただき、嬉しいです。いろんな私の知らない話とかも結構あってですね。なるほど、じゃぁそのMVPとかの検証するタイミングとかで、その時スタートアップでもうまくいかないことの連続じゃないですか?その時経験したハードシングスというのはどういうのが、3つ挙げるとすると、どういうのがこれは大変だったなっていう
森永さん「まず一つ目が想定通りに行くことの方が圧倒的に少ないと、」
—何事もそうですね、本当に。思い描いた通りにいかないですよね、本当にね。
森永さん「やっぱそれがMVPを出してからもすごく感じましたし、二つ目としましては、次どういうふうな施策をすればいいのかっていうところをすぐに回して行くのが難しかったっていうのがあって、」
—PDCAのところですね?
森永さん「そうですね。そこをもっと早く回したら良かったんですけど、Aのプランがダメだった時に、Bのプランってなんだろうとか、Bがダメだった時に、Cのプランってなんだったていうのがありました。僕たちの場合は不動産とか、かなりアセット重めのものを扱うものもあって、オンライン上とか、デジタル上だけでみれるものでもなかったりもしたので、なかなかそこの動きを早くするってところが、不動産を対象にするところとしては難しかったかなと。最後やっぱり、こう撤退時期といったら変ですけど、何を持ってこの事業をピボットするのかとか、そこを線引きするのがすごく難しかったですね。もうちょっと頑張ったらいけるかもしれないし、いけないかもしれないし、そこの意思決定は難しかったですね。」
—ちなみにその当時はチームは何名でやられていたんですか?
森永さん「Co-Founderと2名で主にやっていましたね。」
—二人だけだと、あぁでもないこうでもないっていうのが、特に走り出すとスピードが重要になってきたりするんですけど、どうしても自分たちをうまくコントロールできないことって、たくさん出てきますし、やっぱりそこが一番難しいですよね。ちなみに色々とやっていく中で、色々仮設検証とかも重ねてやってたと思うんですけども、MVP途中の段階で、森永さんは抜けるという意思決定をしたんですね
森永さん「そうですね、自分の中でこの領域、クロスボーダーと不動産という領域で一年半くらい、色々検証してたんですけれども、なかなかその中で見出せなかったっていうのもありますし、そういう事業そのものに対して、このまま続けていくべきかっていう疑問っていう点と、あともう一つは、僕自身は一番最初に言ったように、アメリカとか海外でもっとスタートアップをやりたいと思って、渡米はしてたんですけれでも、やはりどうしても、前に取り組んでいたスタートアップだと半分日本、半分アメリカみたいな感じで、そもそもこう、自分が日本・・どっちつかずみたいで。
それも自分の起業家としての生き方に照らし合わせたときに、もっとアメリカでやりたいなと、もっとアメリカのマーケットでチャレンジしたい、勝負したいというのがあったので、今回はそういう風な決断をしたっていう感じですね。」
—でもよく決断できましたね、もし自分がその立場になった時に、ちゃんと抜ける意思決定できる自信はないですね。特にその思いがあるじゃないですか?Co founderと一緒に立ち上げて、資金調達もして、とりあえず色々やってって、やっぱりこう、子供はいないんですけど、子供みたいなもんじゃないですか?
それを手放すっていうのは相当な覚悟と勇気がいるんじゃないかなと思って、それがよくできたなっていうのがもちろん色んな複雑な思いとかもあったとおもうんですけども、意思決定プロセスっていうのはどうやって最終的には、自ら決めて行ったんですか?
森永さん「多分簡単ではなかったはずなんでね正直すごい悩んでいました。やっぱり信じて投資してくださった方にも申し訳ないなって気持ちもありましたし、一方で自分が一度の人生でどういうことをしていきたいかということを振り返るいい機会でもありましたし、ただ一番背中を押してくださったのがサンフランシスコにいる起業家の皆さん、先輩方ですね。やっぱり僕も今の状況とかを先輩とかに相談していく中で、すごいアドバイスをくれて、また一緒にアメリカでやろうよと言ってくださったりとか・・」
—素敵ですね・・
森永さん「アメリカでやっていらっしゃる他の先輩方に支えられて、意思決定できたんじゃないかって今思いますね」
—ありがとうございます。いい経験されていますね。その年齢で色んなことを・・なんていうんですか。それも踏まえて経験できるって、本当に色んな意味で、人間としても成長できたんじゃないかなっていうのはすごく・・思いますね、今の話聞いただけでも。今色んなアイデアとか、これから立ち上げようとしてるっていうのもあると思うんですけども。ハードシングスも踏まえて、もしやり直すとしたら、どういう形で、まずスタートする形で考えているんですか?
森永さん「実は前回、自分が会社抜けるって決めてから、前のスタートアップで失敗だったなと思うことを、全部50個書き出して、それに対する、次回はこうしたいみたいなのを50個書き出して、全部で100個書き出したんですよね。ただ、いくつか挙げるとすると、やっぱり次は自分がどの市場でやりたいのか、もちろん日本とかアメリカとかもありますけども、やっぱ僕はアメリカ市場でチャレンジできる事業をやりたいっていうのが結構軸にはあって。そこは僕の中で譲れない条件にはなっていますね。」
—やっぱマーケットですね。ありがとうございます。
前半はこれで一旦終わりにしようかなと思っていまして、後半の方ではグローバルをキーワードに色々と質問できればなという風に思っておりますので、まずは前半、一旦これで締めさせていただければなと思います。森永さん、色々とお話しいただきありがとうございます。後半も引き続きよろしくお願いします!
森永さん「ありがとうございます。」