RiSiNの運営者、パトリックのこれまでと今目指して動いているものとは?

Rising Sun Innovators=RiSiN、運営者でありスピーカーを務めるパトリックとはどんな人なのか? これまでやってきた事から今目指して動いている事まで第一部、第二部と分けてご紹介。

とりあえず、お互いまだ慣れないというか、感じですけど。

普段、けんごさんは裏方として、こういうふうに登場するっていうのはね、なかなかレアケースとはありますけど、

本日はね、自分がインタビューを受けるということですね。

とりあえず、お互いなぜか、同じ空間にいるのに、あえてこのツールを使ってやるっていう試みもね、初めてで。よろしくお願いします。

Q:パトリックさんの出身は?

出身って言葉が、いつも聞かれると困っちゃうんですけど、バックグラウンドを言うと、父は日本人です。

で、母がフィリピンの方です、というのが自分のバックグラウンドで、どこの出身かって言われると、ちょっと難しいですけど、一応、長いことフィリピンにも、もちろんアメリカにも小さいころ過ごしていて、高校のときから日本に戻って、

そこから、小さいころ日本語を話してたみたいですけど、でも、やっぱり海外で長く小さいころ住んでいく中で、日本語を忘れたっていうか、もう日本語を話せなくなったっていうのがあり、高校のときに日本語を勉強し直したっていうのがありますね。

なので、そこから日本語勉強して、普通の日本の高校に入って、日本語勉強して、大学受験して、で、大学に入って、大学卒業した後に、当時はインターネットベンチャーっていうのが、すごく日本ではこれから伸びていく産業だと思っていて、まだ普及する前に海外から一番衝撃を受けたのって、ガラケーのすごさなんですよね。

もう携帯とんでもねえなと思って、みんなね、スマホが出る前からみんな普通にやってたんで、普通にゲーム、着メロ、着動画、なんかいろいろあったじゃないですか。

インターネットベンチャーっていうのもこれから伸びていくと思って、新卒からみんなから結構大手企業とか外資系企業に入った方がいいんじゃないって、みんなから結構言われてたんですけど、若いうちから、かつこれから伸びていく分野で、グローバルにかかっていける人材になりたいと思って、ベンチャー企業に入ったっていうのがバックグラウンドですかね。

まさかスマホになるとは思ってはいなかったですけどね、正直。

ただこのインターネット産業そのもの自体は、これから先はもうなくなることはないんだろうなっていうのが思ってました。

なのでそこに自分の身を置けば、自ずと、特に当時は日本が一番進んでるって本当に思ってたんで、なので一番進んでる場所でいろいろ経験を積んでいけば、その知識とか経験を使って、グローバルにいろいろ活躍できるんじゃないかと、当時はそう考えてましたね。

ただね、(海外は)日本ほど発展してなかったような記憶はありますね。コンテンツそのもの自体が。

本当に日本ほどここまでコンテンツが進んでるっていう印象はないです。もしかしたらただ動けてないだけかもしれないですけどね。

大体6歳から16歳まではフィリピンメインで、そこでアメリカも行ったりして、っていう感じですね。

そこからは日本に戻って、日本のベンチャーに勤めて、フィリピンに行って、マレーシアに行ってっていう感じですね。

なので本当に自分がまさか海外で働くっていうのも思ってなかったですけど。

本当にむしろ日本に来て、それこそコミュニケーションだったり文化だったり、いろいろ慣れるまで本当にたくさんのこと苦労しましたけど、逆にそれを経験してよかったなって今思っていますし、

なのでそれもあって、日本の良さ、海外の良さっていうのも自分の中で比較できて、そういう意味でも自然と多様性っていうんですかね、多様性、柔軟性っていうところは身についてたんじゃないかなとは思いますね。

Q:投資家になるきっかけは?

投資家って言うとまだ実績もないし、投資家って言えるほどのギャリアを踏んだわけではないんですけど、きっかけはマレーシアから日本に戻って、それから4年目なんですよね。

日本に戻った2020年の9月とかだったんで、なのでそのタイミングで、もともとフィリピンで自分で起業して、当時はあんまり分かってなかったですけど、前に勤めていた会社で社内ベンチャー制度みたいなのがあって、そこに応募して、いろいろチャレンジした結果、フィリピンで起業することが決まって、出資してもらってっていうのがきっかけだったんですね。

それをいろいろ経験していく中で、本当にスタートアップというか、本当に言葉としてはありますけど、東南アジアでの環境ってまだまだそこまで今ほど充実してなかったですし、資金調達するにもなかなか難しかった記憶もあります。

スタートアップがもともとのものっていうか、やっぱそれを1回経験して、スタートアップというか、0-1、1-10っていうのをいろいろと経験して、なのでフィリピンでは主に0-1を経験しましたと。

その時はいろいろ全く何も分からない中で、とにかく若さと気合だけで乗り切って、

フィリピンで起業したものの、一応フィリピン選んだのは言葉が分かるということと、あと文化も馴染みがあるということで、とにかく日本でうまくいけるビジネスモデルをフィリピンにローカライズすればうまくいくんじゃないかって仮説のもとをやったんですけど、

早すぎたし、何て言うんですかね、2年で失敗して終わったっていう苦い経験があります。

そこからスタートアップっていうのを見るようになり、東南アジアとかのスタートアップ環境とかも自分で追うようになったんですね。

失敗した後にまた日本に戻って、その時アドテックという領域が、当時日本ではこれから伸びていくということで、アドテックに携わって、1年後にマレーシアに海外拠点を立て上げっていう話をいただいて、フィリピンで悔しい思いもあったんで、

それでリベンジしたいっていう思いもあり、とりあえずマレーシアに行ったことがなかったんですけど、とりあえず英語が通じるかだけ聞いて通じるって話だったんで、行きますって話だったんですね。

そこでいろいろと東南アジアでビジネスやっていく中で、そこで0-1ではないので、日本にあるプロダクトを海外で広げていく、東南アジアで広げていくっていうのがミッションだったんで、そこでその一場を経験するっていうか、もちろんいろいろ山、谷、谷っていうこともあったんですけど、

そこで違うフェーズのことを経験して、それで2020年9月にコロナとかもいろいろあって、日本に帰国するって話になったときに、いろいろ考えて今後の10年、これからの10年ってどうしていきたいなって考えたときに、もともとスタートアップっていうのも経験してたし、スタートアップも好きだし、

エンジェルっていう本を読んで、エンジェル投資っていう言葉を初めて知ったんですね。

もちろんVCとか投資家っていうのは、いろいろとなんとなく分かってたんですけど、エンジェル投資とかもあるんだっていうので、エンジェル投資をやり始めて成功した、ジェイソン・カラカニスっていう人間がいて、その人がエンジェル投資で成功した後に、自分でVC立ち上げて、ファンド作ってっていう話を見て、それすごくインスパイアされたんですね。

キャピタリストっていう仕事めちゃくちゃいいなと思って、そこで自分がここから10年間、自分の人生をかけて何をやりたいかってなったら、やっぱり新たなことをチャレンジしたいなと思って、それはキャピタリストだったんですよ。

なんでキャピタリストなの?って考えたときに、やっぱり起業をして、失敗した経験もあるので、長いこと東南アジアで、マレーシア5年、フィリピン2年、大体7,8年、東南アジアで、自分の社会人のキャリアの半分以上、というか、築いた半分以上を海外で過ごしてるんですね。

なので、自分が経験したビジネスサイドの経験と、英語力とプラス、資金面でも、日本の企業化をグローバルに戦っていけるように、自分がサポートできたら、これってめちゃくちゃやりたい仕事なんじゃないかっていう風に思ったのがきっかけです。

そこで、いろいろとやっていく中で、じゃあどうやったらできるかなって、

もう日本に戻って、社内でCBCっていうのがあったんで、そこでその投資家というか、キャピタリストになりたいですっていうのを手を挙げたんですけど、ちょっと縁がなかったので、なので、ちょっとそれでいろいろ考えていく中で、奇跡的な出会いを果たして、それでVC、独立系のベンチャーキャピタルの立ち上げに携わるという話をいただいて、

そこからですね、スタートしたのが。